巷の英語熱に乗じて、私も英語の勉強を始めた。
「英語ができない奴が、英語教えていたのか?」
とお叱りを受けそうだが、中高時代、英語が苦手だという感覚はなく、
中3で英検2級もとれたし、センター等で9割をわったこともない。
大学時代も留学生と話せて、toeicで800点くらい取れていた。
まぁ普通の人よりはできるかな くらいの自信は持っていた。
だが、その大学時代に「英語は無理だ…」という、劣等感を抱くようになってしまった。
なぜ劣等感を抱くようになったか。
それは、周りの友達、知り合いに圧倒的な差を見せつけられたからだと思う。
例えば、帰国子女の友達。
彼は、小6で英検準1級を受けて、日本人面接試験官の英語能力の低さに唖然としたらしい。(帰国子女だと、このレベルが普通とのこと)
ヒッチハイク時に世話になった友人は、アメリカンスクール出身、家庭での会話も英語だった。
そこには、英検やtoeicの点数では測ることのできない、別次元の世界が広がっていた。(茨城に住んでいると、こういう機会が少ないと思う。)
同じような経験が重なり、
「英語が得意」という私の自尊心は完全に崩壊してしまった。
英語で勝負をしても、絶対に勝てない。
勝てないものに力を注いでも仕方がない。
そう思い、勉強もしなくなった。
今思えば、「勉強し続ける」ことが必要だったと思う。
人は、自分を大きく見せたがる。
等身大の自分よりもすごい人間だと思われたい。
若い世代が、インスタ映えを争って痛い投稿を続けるのも同じ現象。
だけど、世界は広くて、殆どの人間は凡人でしかない。
自分が得意だと思った分野にも、上には上がいる。
悲しいかな、凡人にはトップになれる分野、武器なんて何もない。
勉強も、運動も、仕事も…なにも勝てない。
当時の私は、圧倒的な差を見せられ、自尊心が高かった故に、諦めてしまった。
そこで、他の凡人との違いを生むのは、
ちょっとは使える凡人になるかどうかの分かれ目は、
痛い投稿、痛い努力をどれだけ長く続けたかにかかっているのだと思う。
英語をあきらめて15年、
1日英単語を5個ずつ覚えていれば、3万語…
この年なってから
「腐らずに続ける。」ことを決心する今日この頃。
※ちなみにギターは、25年間続けており、今でも自分の成長を感じている!