あと、2回。
この冬、勝負。
数学については、勉強法等、書くことは色々あるが・・・
いつも通り、数学も「基本が大切だ!」ということを。
数学の成績がいい生徒の特徴と言われたら、
「間違えちゃいけない基本問題で間違えないこと」と答える。
超難関高校に受かる生徒が、 教科書レベルの問題を解けないことは絶対ない。
難関理系大学を目指していて、 センター試験の問題が解けないなんてあり得ない。
だから、数学の点数を上げようと思ったら、
まずは、基本的な問題を完璧に解けるようにすること。
これが最優先。
私も、関東圏内の有名私立の難問を授業でやったり、受験数学のテクニックに走りたい気持ちにかられることもある。
しかし、その前に…やるべきことが !!
数学は積み重ねの教科。
基盤がしっかりしていないとと、 どんなにテクニックを学んでも砂上の楼閣にしかなりませぬ。
※以下、私の数学勉強経験談。
大学受験時、
①数学の教科書を本質的に理解するようにしたこと(←最も難しい)
②「一対一の対応」という問題集を繰り返し解いたこと
この2つによって、飛躍的に数学の点数が上がった。
東大、京大実戦模試でも8割近くとれるようになっていた。
(そのせいで、理学部数学科なんてところに入ってしまったが…)
逆に、学校で配る、チャート式問題集や教科書併用問題集は量が多すぎて、身にならなかった。(茨城県内の、大学進学を目指す高校では、チャート式と教科書併用問題集の2冊を配付している。気合入りすぎて、消化不良では?どれだけの生徒がこなせているのか、甚だ疑問)
また、「新数学演習」という日本一番難しい問題集も解いたが、結局時間の無駄だったように思う。
今でも、ときどき大学入試問題を解いている。
東大でさえも近年、易化していて基本的な内容しか出ていない。
情報があふれ、特別な勉強が必要!と思ってしまうが、
まずは、教科書レベル。
それが出来ないと、話は先に進みませぬ。
お盆休みは毎年恒例、
問題解き&読書三昧。
今年の大きな収穫は、
山本周五郎の「樅の木は残った」を読んだこと。
20年越しの目標達成。
というのは、中学3年生のころ、
同期の成績トップが、この本を読書感想文に書いて、賞をもらっていた。
当時、勉強に血気盛んだった私は、
「どんな本なんだ!あいつに読めるなら俺も読んでみる!」
と奮起し、試みたが…
歴史小説、九州から遠く離れた仙台藩の内容など、
良さがさっぱり分からず、途中で投げ出してしまっていた。
その後年月が経ち、
この夏、塾の生徒が読書感想文を書いていたこと、
宮城県が身近に感じれるようになったことなど、
色んなことが重なり、
今回、読む機会を持った。
読んでみて、改めて感じるのは、
学生時代に読む本が、
その後の人生に、大きな影響を与えるということ。
読書感想文を書いた友達は、法曹の道に進んだし、
大学寮の隣部屋の先輩は、中学時代にビルゲイツの本を読んで、
起業することを決心したと言っていた。
受験生は、黙々と読書をする時間などであろう。
勉強が嫌で、読書に逃げてしまい、勉強した気になってしまう生徒もいるだろう。
だから、もし読むとするなら、
受験を戦う自分を、支えてくれるような本、
そんな本を読んでもらいたいと思う。
週末、塾の広告が大量!
広告の半分くらいが、塾関連。
内容はともかく、
それぞれの塾経営者の「決断力」に素直に感心する。
部下の生活を背負って、新しい手を次々に打つのは、
相当なプレッシャーだと思う。
(雇われ者のときは、その凄さがさっぱり分からなかった。)
そういえば、
私の地元、九州では、
1つ超大手塾が、中堅塾をほとんど蹴散らし、他を圧倒。
私が小学校のころ通った受験塾も、完全敗退。
茨城では、今後どうなるのか。
今日、塾関連のニュースを見つけた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140701-OYT1T50051.html
そりゃそうだの記事。
私も、つい1年ちょっと前まで勤め塾講師で、
毎年100人ちかくの受験生を任されていた。
(教室を任されてから生徒数は常時右肩上がり。それが自信にもつながった。)
そして、恒例の進学説明会も開催していたわけだが、
その中で、毎年、必ず話す内容があった。
それは、
「成績を上げるための第一の条件は何か」ということ。
私の答えは
「人の話を素直に聞くこと」
ただ、これだけだった。
人間は誰しも、人のいうことに反発したくなる。
だがそこで、反発だけで終わる人間は何も学べない。
数学、英語などといった学習内容以前の問題であり、
その根っこを変えないと、無理にいい高校やいい大学に行っても、
伸び悩むのは目に見えていると。
これは、卒業生を見ても、自分の学生時代の友だちを見ても、
証明されていた。
それ故、上位&拡大を目指す進学塾はもともとやる気がある人材を欲しがる。
授業を妨害する生徒、やる気がない生徒に対して、
わざわざスパルタ教育をしようなんて思わない。
すぐに切ってしまうか、金づる扱いにする。
(近年、水戸地区で急成長している塾なんか、すぐ退塾させられる)
なぜか?
講師陣の身が重くなる&仕事が増えるだけだから。
かつ、その生徒は結局、結果を残せないから。
名著「ビジョナリーカンパニー2」にも書いてある。
goodからgreatに飛躍するには、管理を厳しくするな。その前にまず、人材を選べと。
そんな自分が嫌で、今の合格道場を開いた。
話が脱線した。
中間テスト。
過去最高点を取った人もいる。
逆に、グデグデの点数だった人も多数いる。
そんな中、
毎日の確認テストをしっかりこなしていた生徒が、
最高得点(450越、440越)を取れたと、
本日、報告してくれた。
本当によかった。
凡人には、
「自ら仕事を創るより、他人からやることを指示され、愚痴を言いながらも仕事をやったほうが楽。」
独立して痛感した。
どこの会社にも、愚痴と文句しか言えない人がいる。
しかも、そういう人に限ってなかなか辞めない。
なぜか?
自ら転職したりするよりは、愚痴を言いながら仕事するほうが楽だから。
「自らで仮説をたて、情報を集め、決断し、実行に移す。」
言うのは簡単。実際行うのは至難。
小中学生に対しても同様で、
「自分で人生を切り開きなさい!」という言葉は、聞こえが良い。
自分で夢を決め、具体的な高校進路、大学進学を考え、実行に移す?
はたして、どれだけの生徒ができるのか。
受験勉強よりもはるかに難しく思える。
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私は中学受験を経験したが、
自分の意思で目指したわけではない。
小学低学年のころから、九州一円の中高一貫校に見学に連れていかれ、
受験雑誌もいっぱい見せられた。
即ち、まんまと親の戦略に嵌ってしまった。
これについて、親を非難するつもりは全くない。(逆に感謝している。)
ちなみに、医学部に行った友達の殆どが、
親から「医者になれ!」と勝手に決めつけられていた。
成績がいいから医学部をめざしたのではない。
医者にならないといけないから、医学部をめざして勉強していた。
将来に対して、ビジョンが全く描けなかった当時の私には、そんな友達が幸せに思えた。
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生徒の言葉
「私、頭悪いからー」
しかし、これは順番が逆だ。
能力がない、センスがないとか言えるのは、
本当に努力した後。
やってないのに、「頭悪い」と言えるはずがない。
たとえ、人と同じ努力をして「自分に能力がない」と感じたとしても、
人の2倍、3倍努力すればよいだけのことだ。
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これは、最近話題の寿司屋、
「すきやばし次郎」の小野二郎さんの生きざまを見て感じたこと。
7歳から奉公に出て、今88歳。
どんだけ努力してるのだろう…
昨日今日で、卒塾生が再び挨拶に来てくれた。
2人とも、開校当初の4月から通っていた生徒。
昨日の生徒は、地道な努力で勝ち取った生徒。
勉強量は4月の時点から群を抜いていたと思う。
その姿勢に、私は合格を疑わなかった。
なかなか成果が表れないこともあり、終盤不安になりかけたが、
今こうして、合格を勝ち取って来てくれて、
「受験において努力は報われるということ、基礎基本の大切さ」を証明してくれたように思う。
今日(今)来てくれた生徒は、
「入学生の代表挨拶を勝ちとった」という報告だった。
その生徒は、高校に入って部活を極めたいという意志があった。
学業も部活も一生懸命やっていたら、周りが放っておくわけがない。
だから、私は「学業でもトップ合格して、代表挨拶を勝ち取って来い!」
と常々言っていた。
それが、本当に取ってくるとは!!
いやぁ、感動した。(今も、感動の余韻中)
努力次第で道は拓けるし、世の中捨てたもんじゃないって、
生徒から教わっている気がする。