学生時代より、ボランティア活動で地域の子供たちの指導。その後、福岡~東京~茨城へ。
2008年より、茨城県内で塾講師として活躍。
生徒の成長、志望校合格にすべてをささげる九州男児。<コメント>
私は3人兄弟の三男として生まれました。
小学生のとき、勉強はそれなりに得意でした。
そのため、周りから多大の期待を背負いました。
気が付くと塾通いし、中学受験の道へ。
鹿児島に初めて行ったのも受験が目的でした。
その後、中高一貫校に入り、将来の大学も期待される身となりました。
ここまでは周りの期待にそうことが、勉強する目的だったように感じます。しかし、高校に入るころ、
「なぜ勉強するのか?」
「なぜその大学に行かなければならないのか?」
「生きる意味はそこにあるのか?」
と迷いはじめました。
「勉強して、何の意味があるのか?」と。大人たちに助言をもらっても、
「将来、苦労しないように!」
「学歴がないと、いい仕事につけないよ!」
といったもので、青年時の私には全く実感がわきませんでした。結局、中高時代に「なぜ勉強するのか、なぜ生きるのか」の答えは出ませんでした。
今日、学生の時よりも勉強している自分がいます。
茨城の入試問題の研究、教え方の研究等。では「なぜ勉強するのか?」。
それは、以下の4点と考えます。
①周りの人を幸せにするため。
②自らの可能性を広げるため。
③この知識労働社会で生きるには、知識を身に付けることは必須であるため。
④単に勉強するのが好きだから。①周りの人を幸せにするため という理由は、中高の時には全く考えつきませんでした。
自らの人生の価値、存在意義は、「ほかの人にどれくらいの貢献できたか」、「ほかの人をどれくらい幸せにできたか」で決まると思います。
そして、ほかの人を幸せにするには、自らが「力」を持っていないといけません。
家族を養うにも、恋人を助けるのにも「力」が必要です。私は、2011年3月の地震後、東北にボランティア活動に行きました。
大きく貢献したい!と思いつつも、ゴミ拾いしか手助けできない自分がいました。
自分が医者として人助けができれば…、また豊富な資金で多くの人を助けることができれば…
つくづく自らの「力」のなさを実感しました。これから未来を背負う生徒たちには、学ぶことで、将来大きな「力」をつけてもらいたい。
そして世の中に大きく貢献する人間になってほしい。
そう願っています。