今年度の、中学3年生の業者テストの平均偏差値グラフ。
縦軸は、4月の偏差値を基準0として表している。
不正データや数字の書きかえは一切なし。
7月→8月の推移は、一概に比較はできない。
(夏期入会の生徒がいるので。夏期入会の生徒は8月以降の受験)
平均偏差値は伸びているが、
中には、伸びていない生徒がいるのも確か。
そこが、今の最大の課題。
サイト管理人のブログです。
塾の広告、営業マニュアルトークに
「勉強のコツを教えます」というのがある。
「お宅のご子息さんは、勉強の仕方、コツがわかっていません」などなど。
しかし、私は「コツ」とか「要領」とかいう言葉を聞くと、
ウソっぽいキャッチフレーズに聞こえてしまう。
イチローに、
野球の練習の「コツは…」と聞いて、
それを実践すれば、イチローみたいになれると思う人はいるだろうか?
同じように、勉強も「コツ」だけ言われて出来るようになるか?
私は、中学から大学までずっと寮生活を送ってきて、凄まじい成績を出す友人を目の前で見てきた。
半分寝てても東大に受かるような友人、旧帝大を首席で卒業して大学に残る人。
そういう友人に共通していえることは、
勉強の絶対量が多いということ。
本人は意識していなくとも、
中学~大学に至るまで、1日最低3~4時間は勉強していた。
逆に、地道な努力を軽んじて、「要領」だけで成績を出していた生徒は、間違いなく途中で脱落していった…
そもそも出来る人の「コツ」なんてものは、
大量の練習量の上に、その人にあった方法が自然と作られたものであって
容易に聞いてマネしたところで、どうにかなるものではないと思う。
「コツ」と言う前に、「コツコツ」やってから!
今年は、実家には帰らず、家で留守番。
それで、何をしているかというと、
問題解き!
全国の入試問題を全教科、全部。
まとまった時間が取れたこの機会に、
解きまくっています。
まだまだ、
若いもんには負けてられない!
人は「新しいこと」を学ぶのを楽しく感じる。
ネットで、どうでもいいような新着情報を知りたがる。
新しい知識を次から次へと入れようとする。
そして、そのほとんどを忘れ、何も残らない。
時間の浪費だったことに気付く。
大切なのは、
骨太の内容を何回も繰り返し復習し、
完全に自分のものにすること。
ザルで水をすくうべからず。
高校のときの参考書を、今でも時々読み返す。
その中に「新釈現代文(高田瑞穂)」という本がある。
難易度が高すぎて、昨今の受験には役にたたない。(大学文系でも)
しかし、受験を超えた「文を客観的に読むこと」の最終形は、
この本中の「論理の追跡」であると思う。
以下の記述。
現代文が苦手な生徒には耳が痛いか…
——–以下引用——–
※問題意識について
「現代文がわからないという場合の多くは、実はあなたがたの問題意識が極めて希薄であるか、または全然欠如していることの告白であると私は断言いたします。ここで是非一つ、あなた方一人一人、御自分の心をのぞいて頂きたいものです。何がありますか。もしそこにあるものが、単に、見たい、聞きたい、食べたい、行きたい等の、総括して自分の感覚を満たそうという願いだけだったとしたら、そういう人に、入試現代文が難解であるのは、当たり前ではありませんか。そういう人は、無理をして、自分の精神年齢を引き上げなくてはなりません。無理をすることがどうしても必要です。例えば、仲間が口をそろえてむずかしいという本があったら、無理をして、それを読破して、いややさしいと言うのです。批評家など盛んにほめるが、あんな小説―映画でもよろしい―のどこが面白いのかさっぱり解らないと友だちが言ったら、それを能く読み、熱心に見て、いや確かに面白いと言うのです。こういう無理は、青春期においては少しもみにくいものでも、恥ずかしいことでもありません。青春時代は人間的教養を身につけなくてはならない時期です。Cultivationとはもと耕作し、育成することです。それは、関心する世界を開拓し、そこからさまざまな収穫を得ようとする態度なのです。」