塾の年間行事予定表を、中3に配布した。
私の中では、すでに受験モード全開。
予定表を見ながら、
生徒みんなの合格までのイメージを一人一人作成中。
生徒諸君は、
ついてくるべし!
塾の年間行事予定表を、中3に配布した。
私の中では、すでに受験モード全開。
予定表を見ながら、
生徒みんなの合格までのイメージを一人一人作成中。
生徒諸君は、
ついてくるべし!
GW中も、平常通り授業を行います。
皆が休んでいるときにこそ、弱点克服&差をつけるチャンス。
いつも通り、勉強を楽しみます!
(予定表のページをご覧ください)
この業界に入って驚いたことがいくつもあった。
今では「こういうことだったのか」と納得できるものもある。
あくまで、その当時に思ったことをそのまま書いてみる。
今回は、その中の1つを紹介したい。
それは、塾業界のなかに、「中間期末対策」というものが存在すること。
広告を見てもわかるように、ほとんどの塾が中間期末の成績アップなどを謳っている。
これは当初、本当に信じられなかった。
中間期末といった校内テストは、学校の先生が作るもので、
テストを作る人にどこが出題されるか聞けば一番早い。
大切なところがどこだかわからなければ、
普段まじめにやっている生徒だったら、
「これ、大事ですかね?」なんて質問しに行けば、先生も人間である。
多少なりとも情報は得られるだろう。
また、学校からワークをもらっているのだから、
短いテスト範囲の中、それだけを完璧にすれば点数はそこそこ取れる。
それを、ワザワザ、塾で対策する?
予備校の講座の中に、中間期末対策なんてある?
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今となっては謎が解けた。
中間期末テストの結果が良い、悪いという以前に、
生徒の多くが、本気でテストの成績を上げようという気持ちが大してない。
学校のワークも適当にやって、丸をつける。
もしくは、テスト直前に答えを写して提出するだけ。
こういう状況じゃ、悪いのが当たり前で、玉砕しているに等しい。
そこで、生徒を先導して、テストの準備をする場所こそが、塾なのだと。
今日、中3の授業があった。
1学期、はじめての授業。
その中で、
「今、行きたい高校はどこですか?」
というアンケートを取った。
すらすら書ける生徒もいれば、迷う生徒もいた。
現時点で、志望校は絶対に上を目指すべきだと思う。
別に今の成績が悪かろうがよかろうが関係ない。
もし、今の成績が恥ずかしくて志望校を人に言えなくても、
心の中では「絶対に負けない!最後には勝つ!」という気持ちを持っていればいい。
努力の方法、方向性が間違っていなければ、成績は絶対に上がる。
逆に、成績ほど努力が報われる世界はない!
最後に、「ストックデールの逆説」を紹介してこのブログを締めたい。
「ストックデールの逆説」
どれほどの困難にぶつかっても、最後にはかならず勝つという確信を失ってはならない。
そして同時にそれがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視しなげればならない。
大学の時に、成績抜群のクラスメートがいた。
専攻は数学だったが、大学に入学するころには、大学の内容はすべて理解していた。
指導員の助手もタジタジ。
彼は授業中、何をしているかというと、
講師の言っていることをうなずきながら聞いているだけ。
すでに頭に入っていることを確認しているといった感じだった。
ノートは……全くとらない。
世の中には色々なノートの取り方論がある。
「東大生のノートは美しい」という商品に代表されるように、きれいに整列したノートを取らせる方法もあれば、
マインドマップのように、「箇条書きのような整列した文字列は最悪」と唱える方法もある。
学習塾も各塾でそれぞれ考え方はバラバラ。
このように、方法論が一つにまとまらないのは、
単に「人によってノートのいい取り方は違う。」からだと思う。
綺麗なノートを作ることにこだわりをもっていて、
自分の書いた綺麗なノートをみればやる気がでるという人もいる。
逆に、板書をノートに書くくらいなら、教科書に書き込んだほうが早いと思う人もいる。
万人にとってベストなノートの取り方というものは存在しない。
私の考えが一つあるとすれば、
「ノートはメモではない!」ということ。
買い物や手帳のメモと
勉強のノートは違う。
勉強は、書いた内容を頭に残し、考え方を身につけないと意味がない。
「あれ?なんだったけかな?」という度忘れを防ぐためなら教科書や参考書で十分。ノートをとる必要性はない。
だから、ノートをとるときは「後で見返すことができるように」という意識ではなく、
「頭に残す」ことを強く意識して書くことが大切だと思う。
私が中学の頃、母校が教育雑誌(今でいうプレジデントファミリー)に載ったことがあった。
かなり否定的なことが書いてあったのでよく覚えている。
題名は、「ブロイラー教育」。
人間じゃなくてブロイラーを飼育するかのごとく、大量の課題を与え、寮で学習時間をとってスパルタ式で勉強させる。
そして、東大合格者数を増やす。
そんな内容だった。
思い出してみれば、確かにすごかった。
たとえば、英語。
英文20文、単語も20個くらい毎日毎日小テスト。
点数が悪かったら、出席簿で殴られる。
寮に帰れば、毎日NHK英会話を聞かされる。
中3時には多くの生徒が英検2級だった気がする。
数学にしても、授業でやったことを覚えていなかったら激怒され、
宿題を忘れようものなら、殴られるのは確実だった。
嫌で嫌で仕方なかったけど、脱走するにもいかなかった。
その後、生徒の約2割が東大に行き、残りは医学部か旧帝大などに行った。
今では、日本にとどまらず世界で活躍している。
野球のイチロー選手も、卓球の福原愛選手も、泣きながら練習させられていたことを思うと、
このブロイラー教育は良かったのかもしれない。(弊害もあるかもしれないが…)
天才ですら、特訓させられているのに、凡人が普通に生活していたらやはり普通のままだと思う。
学習塾が上に書いたような方法を取るのは極めて難しくなっている。
そもそも、生徒の家まで押しかけて勉強を強制するなんてことはできないし、
スパルタという言葉自体が否定的なイメージを持ってしまっている。
「楽しい授業」「褒めて伸ばす」といった言葉が騒がれ、
親も、厳しく生徒にあたることはせず、本人の意向をのむ。
しかし、「褒めて伸ばす」発祥の地アメリカでは、軍隊はスパルタ式だし、
学校の成績上位層を占めるユダヤ人の社会もスパルタ式。
「論語」の孔子にしたって、スパルタ式。
やはり、確実に誰もが成績を伸ばす方法は、このスパルタ教育だと感じる。
今日、新中3で新たに1人、春期講習の申し込みがあった。
申し込みの時、保護者の方から、
「入会したら、第一期生になりますね。」との言葉。
なんともうれしい言葉ではないか。
あと1年後、この合格道場から卒業生が巣立っていく。
その情景が頭に浮かぶと、思わず力が入った。
自信はある。
気合も充分すぎるくらいある。
よし、頑張ろう。
私が中学校のころ、和田秀樹(灘、東大理Ⅲ卒)の「受験は要領」という本がもてはやされ、みんな真似をしていた。
その本の中に、「数学は暗記だ!チャート式の例題を覚えろ!」ということが書いてあった。
理Ⅲ出身の人が言っているんだ!これはいいに違いない!と思い、自分も赤チャートの例題はすべて解いた。1000問くらい。
けど、数学の実力が上がったとはあまり言えなかった。
(その後、「1対1の対応」という素晴らしい本に出会えた)
そもそも、理Ⅲに行く人と普通の人では、吸収量が全く違うわけで、
大量に問題を解いて、覚えようとしても、覚えられるはずがない。
当時は、そんな単純なことを理解していなかった。
いま、春期講習の教材準備の最後の追い込み時期。
既成品の春期テキストに目を通しては見たが、いかんせん量が多い。
「大量の問題を、大量に解いて、大量に忘れて、解いただけで終わる」
ことが今になっても繰り返されている気がしてならない。
合格道場に来てくれる生徒には、「生徒にとって最高のテキスト」を提供できるようにしたい。